神戸いずみの会 公式ブログ

「神戸いずみの会」は、1982年から続く患者会です。

2018年2月例会

 この1カ月の季節の変化にはびっくりしました。27日(火)はとても暖かく明るい日になりました。初めての方も1名お迎えし、お久しぶりのお顔もあって...10名でにぎやかな集いになりました。

・(Aさん 女性) ほぼ一年ぶりです。出席したい思いがようやくかないました。昨年10月に、夫を見送りました。夏から入院して寝たきりの状態だったのですが、退院して私の下から旅立ちたいと本人が強く希望したので、迎える決心をしたのです。退院時には、胃ろうや痰の吸引方法もすべて教わり、在宅サービスの人たちが何度もチーム会議を開き、準備してくれました。退院後は夜中もずーっと付き添い、最期の時は二人だけでした。夫の好きな歌を歌いながら、手を握り、胸をさすっている時、今だ、とわかりました。不思議に悲しみはなく、とても冷静に落ち着いて、よかった、と思えたのです。希望がかない、満たされた思いでした。もちろん、一日として夫のことを思わない日はないですよ。鉛筆一本見ても、あの人が削っていた鉛筆。その先を私は削れないんです。でもどうぞ、ご安心下さい。私は元気です。これからまたお願いします。

・(Bさん 女性)1月末から、ついに築34年の我が家の外壁工事をしました。担当の建築士さんが女性で、話しやすくてよかったです。工事中は家にこもりっきりでしたが、でも出ないとお金をつかいませんね!無事完成し、輝く鮮やかな外観になりました。元気になって介護もがんばります!
・(Cさん 男性)先月、白内障の手術でお休みしました。去年の5月くらいから見えにくくなって、12月中頃には、信号が見えてなかったんです。入院して、片目ずつ手術してもらいました。痛くはないけど目の手術ってコワいね。でも本当にきれいに見えるようになり、やってよかった!と思います。逆に、よく今まで辛抱していたと思います。
・(Dさん 女性)「このままだと、病気は一つずつ増えていきます、体幹を整えること、筋肉をつけることが大切です」と言われ、今、一生懸命だいたい毎日1時間くらいがんばって身体を鍛えていますよ。調子はいいですね。そして、自分が楽しいと思うことだけをすることにしました。そう心がけたら、いいことが増え、嫌なことがなくなったようです。病気が増えて分かったことが、今、プラスになっているかなぁという感じです。

・(Eさん 女性 新規)昨年の11月に夫を亡くしました。定期検査はしていたのです。でも分かった時には、リンパ節転移があり、手術はもちろん、放射線もできないと。抗がん剤だけ。とにかく大変でした。抗がん剤はよく効き、びっくりするほど小さくなったのですが、だんだん効果がなくなり、薬を変えても、最初ほどには効かなくなりました。体力が落ちたところで誤嚥性肺炎となり、命を落としました。新薬の認可に期待をかけていたのですが、体力的に無理でした。志半ばで無念でなりません。夫はスポーツが好きで、体格もよく、丈夫で元気。何事にも精一杯頑張る人なので、普通なら2,3クールというところ、抗がん剤も10クールまで入れました。常にすばらしい気力でした。治療については、素人には分からないことが多すぎて。今思えば、あの時手術できる医者がいなかったのかもしれないと思います。でも他の病院へ行こうかと主治医に相談したら、賛成も反対もせず、「紹介状はいつでも書きますよ」と。抗がん剤で腫瘍が小さくなったとき、手術できたかもしれないのに。とにかく、医者の言うとおりに動いたらこういう結果になったんです。→(Fさん 女性)私なんて3回もがんになって毎回切っているのに、生かされているんです。たった一度で命を落とすひとがいるのに。運命というのか...。
・(Gさん 女性) 私は夫を見送って9年になります。今、過ぎ去った年月で助けられていることがあります。あの時にああしておけばよかったのかも、という思いはずーっとありましたが、素人がお医者さんに命を預けたのだから、それに従わざるを得なかったと今は思います。本人は退院後復帰するつもりだったし、本当に残念だったと思うのです。私も後悔したり、後ろ向きでしたが、今は主人がどこかで自分を見ていると思うんですね。だから主人が悲しまないように、一日一日を大事に、主人の分まで生きて行かなければ、そう思わなくては、と。Eさん、今すぐには無理でも、ご主人の分まで、楽しんで充実した日を送られたら、ご主人もきっと喜んで安心されると思います。いつも心の中に、きっとずーっと生きて下さっていますから。
・(Hさん 女性)私の主人は、亡くなったのは65歳でした。発症したのが54歳です。途中からは仕事を辞めてボランティアなど好きなことをやり、やりたいことができてありがとうって言って逝きました。もっとしたいことはあったかもしれないけれど。うちも、治療中に免疫力おちて、最期は肺炎でした。治療については、かなり悩みましたが、本人が選んだし、できることはすべてしたので、よかったと思っています。最初は夫がいないことばかりが気になって、何を見ても、ぜーんぶ悲しみになってしまったのですが。2年くらいしたら、形はないけれど、身近にいることを感じるようになりました。大変なこと、お気持ちがとてもよく分かります。