神戸いずみの会 公式ブログ

「神戸いずみの会」は、1982年から続く患者会です。

2008年5月例会


5月27日もいいお天気に恵まれ、久々にたくさんの方がお越しになりました。今回も初参加の方をお迎えし、話が弾みました。

・ (Aさん 女性 新規)初めて来ました。今年の1月に、甲状腺がんで夫を亡くし、今は1人暮らしをしています。同じ思いで暮らしている方はきっと他にもおられるはずだと思うので、気持ちをお互い明かせたらと思っています。2005年5月、夫の病気が分かり、「何でもっと早く来なかったのです。治療の仕様がありません。」と言われました。でもとても元気なので、信じられなくて。さらに検査したところ、転移が認められ、外科手術もしましたが治りきらないとのことでした。でも主人は前向きに考える人で、ぎりぎりまで勤め、亡くなる数週間前まで会社復帰を真剣に考えていました。最期はホスピスで、大切な人たちにきちんと挨拶して逝くことができました。それは恵まれていたとは思いますが、でもやっぱり今思い返してみると、割り切れない思いを感じます。恐らく、一番納得していないのは本人だと思います。私自身としては、十分なことができず、もっとするべきことがあったのでは?と思います。今はボランティアでもいいから、夫と同じような病気の人に役立つような活動をしたいと考えています。

・ (Bさん 女性)私は、昨年の夏に夫を亡くしました。直後は何かと慌しいのですが、3、4か月たってからは、「亡くなった人が可哀想」と感じるにようなりました。そして、「大切なのは時間」なのだと、つくづく思います。また今年の1月末、1か月半近く海外に行ったのも、精神的に大きかったです。それから、精神腫瘍学を勉強されている看護師の方の研究のお手伝いとして、「患者の家族の聞き取り」を引き受けました。そういう機会も、私にとっては良かったです。私もAさんと同じく、誰かのお役に立てればと思ったから協力したのですが、でも逆に、今の状態を確認できたことは、私にとって大きな収穫でした。Aさんも、理解して下さる人にお話された方がいいと思います。
・ (Cさん 男性)ぼくもBさんと同じ、昨年の8月に女房を亡くしました。大腸がんによる2年間の闘病でした。しばらくは亡くなったということが納得できなかったのですが、時間がたつに連れて、自分の外側に女房がいるというような感覚になってきました。でも何かちょっとした行事や記念日があるたびに、昨年はどうしたとか思い出しては、ガクッと来ることがあります。先月ヨーロッパに1か月行ってきました。女房の、ある湖に散骨してほしいとの遺言をかなえるためです。帰国後は、もっと複雑な会話ができるようにと、英会話教室に通い始めました。また最近は、月に1度の妻が入っていたホスピス遺族会にも出席しています。さらに妻が関わっていたいろいろな関係の知り合いのところに顔を出したりもしています。ただ、亡くなった直後は連絡も多いのですが、最近は空白もあり、そんな時はすごく孤独を感じたりしますね。→(Bさん)私も1人になったでしょう。でもこの4月に末っ子が家に戻ってきてくれて。私も季節が巡り何かと感じることがあって。そういう思いを息子と共有できるから、後ろ向きにならずにいられるのかと思います。
・ (Dさん 女性)先月はうっかり受診日と重なってしまって、お休みしました。用事で東京まで行ったのですが、口腔がんの手術の痕で、歯がない部分が腫れてしまい、また疲れで咳が出たりと、ちょっと調子を崩してしまいました。気をつけないと、と思います。術後、5年と2か月がたち、安心している一方で、やっぱりまだ心配は残ります。食べるのが不自由なのは相変わらずです。
・ (Eさん 男性)私は大腸がんが右肺に再発し、現在治療中です。抗がん剤治療の3回目を終え、だんだんと副作用などが出てきました。まず最初が冷たいものに対するしびれ、それから口内炎。それから指とか皮膚が黒く沈着したり、髪の毛も、ぱらぱらと抜けるようになりました。せっかくの色白の男前が台無しです!(笑)。まあ、そのあたりはいいのですが、一番辛いのは、肩から背中にかけての強い痛みです。痛いときは寝ることすらできないほどなのですが、ドクターにはなぜか分からないと言われて。先週は4日ほど仕事を休みました。ただ、治療が2週間おきなのが幸いで、間の1週間は痛みも消えビールも飲めるようになります。しかし、治療費が高いですね。高額医療費で戻るとはいえ、1回の治療が10万円以上するので、びっくりしました。つくづく、身体的、生理的、経済的、社会的と何重もの苦難を感じます。体調が悪いとついイライラしますが、必ず治癒するつもりでいます。次回のCTの結果を楽しみにしています。
・ (Fさん 男性)先月お話しした「健彩工房――がんを考える会――」の立ち上げについてのその後です。今日は、先月お話していた、遠赤外線ラバーを持参しました。肌触りだけでも試してみて下さい。私は、自分の家族の闘病の経験から始まり、何か方法がないかと勉強し、栄養学など体の内部からと外部からと、それぞれいくつかの効果ある方法を併用することで、治癒を目指しつつ、がんのサバイバーの方との連絡もとることができる会の設立を考えています。最終的にもっと分かりやすく伝えやすい形にしなくてはと、今煮詰めているところです。先月お話しのあった、サイモントン療法も有効だと思い、勉強を始めました。
・ (Gさん 女性)悪性リンパ腫で移植を受けてから、7年過ぎました。退院して1年たたない頃は、再発とかばかり考えていて、その頃買った5年日記が昨年の12月で終わりました。今年からは2冊目です。前は数年前の辛い思いを読み返しながら書いていたのですが、新しい日記には、日々あることを淡々と書くようになりました。たとえば最近では、田んぼに籾まきをしたとか。今年は私と、私の両親の3人でしたが、やりながらつくづく親よりは先に死にたくないと思いました。親は、毎年「いつまでできるかな」と言いますが、きっとこうやって娘と3人で元気にできることを幸せだと思っているでしょう。また2週間ほどしたら田植えですが、がんばります。
・ (Hさん 女性)私も、結婚して50年、毎日日記はつけていますが、やっぱり病気の直後は病気のことばかり書いていましたね。でも今は全然です。最近、神戸市は財政難で、住民健診の制度がかわったでしょう。私は8年前の住民検診で肺がんを発見して命拾いしたのですが、今の制度なら見つけられずに大変なことになっていたと思います。
・ (Iさん 男性)サイモントン療法の神戸の講演会が、先月から始まりました。私が世話人をしているのですが、国内10人しかいないサイモントンジャパン認定のカウンセラーのうちの1人に来てもらい、好評でした。6回シリーズで、一応医療者向けの企画ですが、もちろん患者さん本人でもご家族でも大歓迎です。1回だけでも学びがありますので、よろしければどうぞお越し下さい。(サイモントンジャパンHPhttp://www.simontonjapan.com/index2.html  このブログトップの、新しいお知らせの方にも詳細あります。)
私自身は、体調はとても良好で、今月から新しい職場に移りました。ホスピスでのビリーフワークは、とてもやりがいがあります。
・ (Jさん 男性)先週、ハワイに行ってきました。ドンキーミルアートセンターというところに知り合いがいて、版画の作品を作ってきました。そこで驚いたのですが、アメリカの学校では、美術や音楽の授業がなくなり、そういう分野が得意な生徒が能力発揮できず落ちこぼれるという大変な状況だということです。それを埋めるために、学校と交渉して芸術科目の講師を派遣するなどして、課外授業が行われているそうです。その取り組みに参加しましたが、読書や絵画、焼物などをやっていて、なかなか変わった教育でした。ハワイはちょうど雨季で、日本にはない熱帯のスケールの違う植物を目の当たりにして、自然界の違いからくる人間性の違いなど、いろいろと吸収しました。この経験を今後の作品に反映していきたいです。

※ 今月のお花...シチダンカ(七段花 アジサイ科) シーボルトが紹介して以来、1959年に六甲山中で発見されるまで誰一人実物を見たものがなく、「幻の花」と言われていた。