神戸いずみの会 公式ブログ

「神戸いずみの会」は、1982年から続く患者会です。

2010年7月例会

testizumi2010-07-27

夏らしく蒸し暑い日となった7月27日の例会。かねてよりお知らせしていた通り、前半は「笑いヨガ」で心身共にほぐし、後半は、初期からの会員の方々にもお越しいただき、「高出昌洋さん 追悼会」を行いました。



・・・・・ラフターヨガ(笑いヨガ)にチャレンジ!・・・・・・・・
講師 中川元江さんより ご挨拶
・ はじめに...日本で広まったのは、ここ2、3年。日本でも「笑う角には福来る」とか言いますが、このヨガを始めたのは、インドのカタリアというお医者様。健康に良いとされる、ヨガと「笑い」を一緒にできないかと考え、まずは家族だけで始め、今世界60か国に広がっています。
・ 笑いヨガの考え方...基本は呼吸です。「笑い」は、エクササイズと考えます。それでも、「笑い」が体に及ぼす「健康に良い」という効果は、面白いことで笑う場合と、一緒なのです。1日に1回、15分〜20分くらい行うのが目安です。
・ エクササイズのスタート!...まずは、呼吸の基本。拍手と一緒に、リズミカルな呼吸。大切なのは、すべての空気を吐き切ること。まずは、「ばんざい」をして手を上げ、下ろす時に「あははは!」。どんどんやります。<ナマステ笑い><ビールをつぎながらの、かけつぎ笑い><アロハ笑い><請求書笑い><ニワトリ笑い><ライオン笑い><電気ショック笑い>・・・・自分で作ってもOKですよ!
・ おしまい...輪になって手を握り、目をつぶって、「手をぎゅっと握る」合図をまわします。最後までつながったら成功! とても一体感があるでしょう。そして「ベリーグッド ベリーグッド ベリーグッド イェ〜」で、おしまい! 笑いヨガは、1人よりも複数でやった方が、お互いに笑いあえて楽しいです。是非やってみてくださいね。ありがとうございました。





〜高出昌洋さん 追悼会〜
お一人お一人に、思い出を語っていただきました。
・ (Aさん 女性)「いずみの会」設立当時、子どもはまだ幼稚園で、私は大学院の学生でした。広島への転居移行、ほとんど出席できなくなりましたが、高出先生が広島に来られた時は、よくお会いしました。死という言葉が医療現場のタブーだったあの時代、いずみの会の活動は先駆的で、なぜか私が、いずみの会のメンバーとして、広島大学医学部「死の臨床」の授業で話をしたことがあります。私自身、今もその延長として、グリーフワークをテーマに、ホスピタルクラウンや、笑いヨガの活動をしています。これはまさに、高出先生との出会いがあったからこそだと思います
・ (Bさん 女性)心身症だった夫が、河野先生にお世話になっていた関係で、いずみの会に来ました。ここで家族の関わり方など、たくさんのことを学びました。私自身が最近まで続けていた介護の仕事にも、その経験が役立ちました。夫はおかげさまで、定年まで勤めることができ、元気にしています。高出さんには本当によくしていただきました。
・ (Cさん 女性)息子が大学3年生の時、余命3か月の胃がんだと告知され、手術の前に、いずみの会を紹介していただきました。そこで高出先生の、「手術は、助けるためにするのだから」という言葉にすごく救われたのです。ところが信じられないことに、「間違いでした。手術は必要ありません」と言われ、おかげさまで、その息子は41歳になり元気です。今でも、落ち込んでいる時に、助けていただいたという感謝の気持ちを持ち続けています。
・ (Dさん 女性)いずみの会ができた頃は、マスコミなどですごく派手に取り上げられました。その後、活動が停滞した時期、阪神大震災、そして、河野先生のご逝去と、多難がありつつも、いつも高出さんは、根強い信念をたやすことなく、黙々とつないで下さいました。高出さんと同じ年に私も乳がんの手術をしたので、同期の桜なんです。お互い、「闘病」という感じは全くなく、とても穏やかだったのは、心の中に、河野先生の教えである「がんと共に生きる」という気持ちが浸透していたからでしょう。男子の平均年齢は、79歳なのに10年も早くて残念です。生かされている私は、元気な限り続けてここへ来たいと思います。
・ (下荒神先生)高出先生の印象は、「人格者」です。じっくりとお付き合いする時間がなかったのがとても残念です。
・ (Eさん 女性)下荒神先生のおっしゃった「人格者」という言葉に同感です。いつもダンディーなイメージでした。パジャマ姿ですら、素敵でした! でも外でたくさんご活躍されていたので、支えられていた奥様が大変だったろうと思います。たくさんの生徒さんのご指導をされ、尊敬しています。
・ (Fさん 女性)「今月のカットの現物です」と、持ってきてくださった草花を持ち帰り、いくつか挿し木して根付かせました。中でも、時計草は、患っていた夫がとても喜び、毎日開く花の数を数えていました。Dさんのご紹介で、初めて来た時から、ずーっと前からいるような雰囲気で受け入れていただきました。亡くなった夫と高出さんは、直接はお会いしていないのですが、今頃向こうで会っているかもしれないな..なんて思っています。
・ (Gさん 女性)高出先生には、思いもしなかった展示会を導いていただき、無事終えてから、一皮剥けたように元気になったと言われています。ほんとうに感謝です。気分が暗い時、「黄色が好き」と言ったら、次の例会の時に、わざわざ黄色い見事なリリーの絵を持ってきて下さったこともありました。感激しました。
・ (Hさん 女性)がんの患者さんに出会いたいと思って来た私を、高出さんが、温かく受け入れて下さいました。「無理をしないで。がんばりすぎないで」ということを一番教わったような気がします。
・ (Iさん 女性)歴史の長いいずみの会ですが、「河野博臣先生」という目立つ人の影で、いつもしっかりと支えてこられたと思います。また、私自身は、この会報誌を作る時、毎回必ず添削してもらったことが、とても勉強になりました。毎月必ず交わす、お互いの視点で気付いた季節の変化のことや、ちょっとした近況報告などが、楽しみでした。今、それができないことが、信じられない思いです。

 最後に、高出かよ子さんより....今日は、夫のために、ありがとうございました。最後の時に心身の苦しみを分かち合ってあげることができなかったのが、妻として申し訳ない思いです。思い返せば、30年前にがんになった時、子どももようやく小学校に入学したばかりで、万一のことがあれば路頭に迷っていたでしょう。それから今まで生かしてもらえたおかげで、こうやって皆さんとの交わりもでき、版画もでき、子どもたちも独立し....。自分を責めて苦しむよりも、ここまで生かされたことを感謝しようと思っています。12月の遺作展のための作品整理をしているところで、無事開催できるか不安もありますが、それが私にとっては、ありがたい宿題なのかもしれません。夫はどなたにも誠実で、人の何倍も生きた、よい人生だったと思います。本当にありがとうございました。